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週刊読書人プレゼンツ:この国は本当に平和なのか 沖縄戦終結から七〇年、沖縄の「占領」は終わったのか 田仲康博・大野光明対談「シリーズ戦後七〇年」

六月二三日、沖縄戦終結七〇年を迎えた。苛烈な戦闘によって、十八万人以上もの人びとが亡くなり、大多数は一般住民であった沖縄戦。終戦後、沖縄は米軍支配下となり、一九七二年に「復帰」を果たすも、米軍基地は未だなくなることはない。「シリーズ戦後七〇年」企画第二弾として、現在の沖縄と日本をめぐる問題について、国際基督教大学教授・田仲康博、大阪大学グローバルコラボレーションセンター特任助教・大野光明のおふたりに対談をしてもらった。

田仲: はたして「戦後七〇年」という括りで物事を考えていいものなのかどうか、そこらへんから考えてみたいと思います。そう臆面もなく言えてしまうことの意味、つまり議論の枠組みをこそ問う必要があるのではないでしょうか。この七〇年で何かが変わり、何かが終わったと言えるのかどうか。この夏、安倍首相は声明を出します。そこでは、多くの人が予想しているように「戦後レジームからの脱却」ということが言われるのでしょう。そうした発言がはらむ危険性を突くためにも、まず「戦後七〇年」という言葉遣いの意味を問わなければならない。その点では、沖縄の視点でこの七〇年という年月を振り返ると、見えてくることも多いと思うのです。ちょうど十年前、「戦後六〇年」の節目に沖縄の新聞がアンケート調査をしました。僕も対象のひとりで、時計のイラストが送られてきました。敗戦を十二時の位置として、現在地点を示す針を書き込むという趣向でした。興味深い事に、ほとんどの人の針が右上の片隅に集中していました。つまり、あまり年月が経ったという実感がないということですね。そのことをもっともうまく表現したのが作家の目取真俊で、その後『沖縄「戦後」ゼロ年』という本を出しています。東京で「戦後六〇年」が喧伝されているとき、沖縄では「戦後ゼロ年」として、つまり戦後は始まってすらいないものとして意識されていた。その目眩がするような落差から、戦後史を考えないといけない。アンケート調査から十年が経ちました。この十年で何がどう変わったのか、それを問うところから始めないといけないと思っています。

大野: 昨年、私は単著『沖縄闘争の時代1960/70』と合わせて、西川長夫さんや番匠健一さんなどと『戦後史再考』という本をまとめました。二つの本で検討したのは、戦後という体制がどのような力学で作られ、維持・再生産されてきたのかでした。日本の戦後体制は帝国崩壊後の新たな国民国家形成であったと言えます。それは「日本本土」の中に戦後の「平和」や「民主化」を収縮させていきました。一方でその外側に置かれ米軍の直接統治下にあった沖縄は軍事占領の場となった。さらにその外側の朝鮮半島やベトナムなどは、沖縄や日本本土から送り込まれた軍隊が戦闘と殺戮を行なう場所となりました。アジアには、戦場、軍事占領地、そして「復興」「平和」「民主化」を表面的には享受した土地という三層構造がつくられたのです。重要なのはこの地政学的な役割分担は米軍を中心にして制度化されたことです。米軍を中心としたアジアの三層構造をふまえれば、一九四五年を起点に「戦後」を語ること自体のイデオロギー性が明確になるでしょう。「戦後七〇年」と呼ばれる現在も、この地政学的分断は維持されています。辺野古に言及するまでもなく沖縄の軍事化は継続、強化されている。沖縄と密接につながった戦場は、アジアにとどまらずアフガニスタンやイラクにまで広がっている。日本本土から発信される「戦後○○年」語りは、地政学的な分断の継続自体を忘却しながら繰り返されてきた。「戦後七〇年」を論じるためには、戦後体制が前提としてきたにもかかわらず、なきものとされてきた忘却や分断の力学を問題化することがまず何よりも必要です。

田仲: そこが重要な点ですよね。大野さんの言葉に繋げて言うと、戦後史を考える際、そこに加害者としての自分を投影する必要があろうかと思います。おっしゃるように、アメリカのアジア戦略に沿う形で、急速に戦後復興を遂げる日本と、その〈外部〉に置かれることで、安保体制の矛盾を押し付けられた沖縄という構造が生まれました。これは講和条約と安保条約によってアクロバティックに演出された同じ構造の二つの表れですが、これが戦後レジームということですよね。この構図は今も変わらないし、沖縄の米軍基地はむしろ強化されようとしています。米軍の爆弾やミサイルのターゲットとなる地域から見れば、当然のことですが、その「同盟国」日本や沖縄は加害者の側に立っています。このことが往々にして戦後をめぐる議論から抜け落ちてしまう。ただその際、「忘却」という言葉の使い方には注意を要します。実は忘れるというような生易しいことではなく、新城郁夫さんが『沖縄の傷という回路』で述べているように、われわれはときに「傷」として回帰してくるような何事かに、あえて気付かないように過ごしてきたのかも知れません。忘却したことすら忘れてしまったということも確かなのですが、身体化/内在化された「傷」はあるはずであり、それが時々外に向かって顕現し、回路となる。一九九五年に起きた少女暴行事件の時の沖縄が端的な例でしょうし、二〇〇四年の米軍ヘリ墜落事件の時もそうですよね。いずれの場合も基地反対の機運が高まりました。人々は気付いたわけです。今の状況はおかしいという当たり前の事実に…。ヘリ墜落事件の直前、僕は新聞で、基地の存在に慣れてしまった社会に警鐘を鳴らしました。二日後、自分が教えていた大学にヘリが堕ちました。不幸なことに予言が当たってしまったわけですが、それは「慣れる」という事態の危険性に誰もが気づいた瞬間でした。日常の風景の中に、戦後の矛盾が織り込まれていく。それがもっとも醜い形で現われているのが沖縄です。東京も例外ではありません。むしろ、さまざまな矛盾に気づかない状況に置かれてきたという点で、もっとひどい状況にあると言えないこともない。沖縄で何か事件が起こっても、遠くの島のこととして片付けてしまう。その痛みに気がつくこともないし、ましてやそれを自らの問題として発想することもない。個人的には、この七〇年間で身につけてしまった、人々のそんな身体作法のほうがもっとも根深い問題だと考えています。

大野: 「忘却ではない」というのは確かにそうですね。田仲さんの『風景の裂け目』では、沖縄をめぐるまなざしや表象の政治が分析されていました。旅行者として多くの人が沖縄本島を訪れる。その視界にはフェンスが入っているはずです。しかし旅を語る時には、基地・軍隊の存在はすっぽり抜け落ちていく。沖縄戦をテーマとした報道番組でさえ、現在目の前に広がる基地は、画面に映り込みながらも直接には触れられないということもある。基地・軍隊が目や耳には入っているけれど、あたかもないものとされてしまう。田仲さんのお仕事が明らかにしてきたように、身体性をともなう思考様式が基地・軍隊を支えてきたと思います。この点と関わって考えておきたいのは、国家安全保障という認識枠組みがこの思考様式の端的な例であることです。絶えず国民共同体の外部に脅威がつくられ、守る主体として国家が措定されています。そして守られる存在=客体としての国民になるわけです。こうして基地・軍隊の存在は正当化され、政治の強固な前提となる。このような思考様式のもとでは、周辺諸外国は脅威でありつづけ、特に植民地主義や戦争責任をめぐって対話すべき相手は不可視化される。地政学的分断は再生産されていきます。日常生活や教育現場、マスメディアの中で常に反復される。これでは、いくら沖縄に行ったところで、現実は変わらない。戦後七〇年とはそのような現在です。

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沖縄を深く考える本

  • 沖縄闘争の時代1960/70 分断を乗り越える思想と実践

    沖縄闘争の時代1960/70 分断を乗り越える思想と実践

    大野 光明 (著)

    出版社:人文書院

    ベ平連、大阪沖縄連帯の会、竹中労、沖縄ヤングベ平連、反戦兵士、沖縄青年同盟などを取り上げ、沖縄/日本/アメリカという分断を乗り越えようとした豊穣な思想性を、膨大な資料から丹念に拾い上げる。

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  • 戦後史再考 「歴史の裂け目」をとらえる

    戦後史再考 「歴史の裂け目」をとらえる

    西川 長夫 (編著), 大野 光明 (編著), 番匠 健一 (編著), 加藤 千香子 (ほか著)

    出版社:平凡社

    日韓・日朝関係、沖縄、引揚者、外国人労働者、原発−。「歴史の裂け目」に光をあてることによって、国民国家を制度的に再生産してきた「国民の歴史」が何を隠蔽し、何を忘却してきたかを改めて問い直す。

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  • 沖縄の傷という回路

    沖縄の傷という回路

    新城 郁夫 (著)

    出版社:岩波書店

    沖縄には、日米軍事同盟の深化拡大により負った傷を他者への回路とし、様々な傷を負う人々との連帯を求める営みがある。戦後沖縄の思想・文学・アートのなかに、沖縄の生の模索を見いだし、共生の場としての可能性を論じる。

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戦後七〇年関連本

尚、「シリーズ戦後七〇年」は以下もございます。

◇「シリーズ戦後七〇年」第一弾
5月29日号「原爆が変えた世界、そして今」/金森修・緑慎也対談
◇「シリーズ戦後七〇年」第三弾
7月17日号「芸術家は戦争をいかに描いてきたか」/千足伸行・河本真理対談
◇「シリーズ戦後七〇年」第四弾
8月7日号「哲学者はショアといかに向き合ったか アウシュヴィッツ収容所解放70周年」/小野文生・渡名喜庸哲対談
◇「シリーズ戦後七〇年」第五弾
8月14日号「日本の戦後七〇年を問う 戦後思想の光と影」/日仏会館 国際シンポジウム載録(山元一、苅部直、宇野重規他)

レビューアープロフィール

田仲康博

国際基督教大学教授・社会学・メディア・文化研究専攻。著書に「風景の裂け目」など。一九五四年生。

大野光明

大阪大学グローバルコラボレーションセンター特任助教・歴史社会学・社会運動論専攻。著書に「沖縄闘争の時代1960/70」など。一九七九年生。

戦後70年 戦争と平和を考える本

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